— 最近、茅野社長が気になっている寓話があるとか。今日はまず、そこからお話をうかがいたいですね。
ちょっとうろ覚えなんだけど、いいですか。身長3メートルの巨人が小さな子どもに倒されたという話です。巨人はめっぽう強くて、戦いを挑まれた兵隊たちが恐れをなして引いてしまった中で、ただ一人、子どもが前に進み出て、石を投げつけた。すると、巨人の眉間に命中して絶命。さて、ここに何を読み取りますか、ということなんですが。
— 弱小な者が強大な者を打ち負かす、でしょうか。
確かにね。重要なのは大きさではないということです。たとえば、企業もかつては規模で評価されていた時代があったけれど、今はその規模が邪魔になることもある。むしろ、大きな組織の方が崩壊しやすいとも思います。だから、過去にどうだったではなく、将来性や期待値で判断しますよね。大きさについての話以外にも、実は、巨人は大きいだけで見掛け倒しだった、巨人は子どもをなめていたと、つまり、慢心してはならないという読み方もできます。さて、他にはどうですか?
— 思い出しました。その話は、たしか旧約聖書に出てくる、ゴリアテとダビデの故事ですよ。巨人兵士ゴリアテが、イスラエル王国の兵士たちに向かって、彼らの神をあざけったときに、たまたま食料を届けるために陣営を訪れていた羊飼いの少年ダビデが一人で挑んだという。と、なれば、信じる心は武器より強いとか、誇りこそ大事とか、でしょうか。
子どもに注目してみましょう。
— わかりました。ダビデはのちに王になるところから、栴檀は双葉より芳し。
子どもの手の中にあるものですよ。はたして、それは単なる石だったのでしょうか。もしかしたら、とがった石を探していたのかもしれない。戦場に向かうのだから、何が起こるかわからない状況ですよね。とすれば、相手にダメージを与えられる武器になりうる、とがった石を準備していたのではないかと私は考えたんです。偶然では勝てません。現場の感覚、危機感をしっかり持って、勝つ方法を必死で考える、いや、勝つ方法しか考えない。これくらいでなければね。
— 神代も現在も同じだと。なるほど、社長もとがった石をお持ちと見ました。カヤノが巨人に向けて投げる「とがった石」とは?
正面から改まって聞かれると困っちゃうな。石も一つではいかんと、これまでいくつか準備はしてきましたが。
— 『モノ、コト、スペース』もその一つですか。生活雑貨や花・緑という「モノ」と、ワークショップやイベントで楽しむ「コト」、家や家づくりに関わる「スぺース」の3つを合わせた事業の多層展開。
その石を投げたのは30年以上前ですけど(笑)。当時は、モノ重視の時代で、モノ、コトなんて言っている人はいなかったから、確かにとがっていたかもしれません。今は、家の価値の多様化に拍車がかかっています。建築には新築と中古のリノベーションがあり、デザインは和・洋どころかさらに細分化、暮らし方も実に様々。ライフスタイルの質は上がっていますから、我々も甘んじてはいられません。昨年には生活雑貨から家づくりまでを体感できる『モノ、コト、スペース』をリニューアルオープン。その新たな拠点にモデルハウスを建築中です。
— コンセプトの進化?
いやそんな大げさなことは…、コンセプトの方向性について考えていますが、そもそも私が行動重視なのはご存知でしょう。私の場合はまず動く。
— カヤノの38の行動基準にありましたね。
そう、すぐ動く。課題や疑問があるとき、アイデアが浮かんだときは、『すぐ動く』が基本です。即対応して問題になることなんてほとんどないですよ。ただし、一人で行わないという大原則はありますが。『モノ、コト、スペース』では、まずはマーケティング。聞いて、調べて、実情をつかむ。そこからは提案をスピードアップしてやっていきたいですね。
— 暮らしの提案ですか?
日常的な暮らしの、です。コンサートに行くとか外食するとか記念日を祝うとか、特別なことではなく、あくまで日常の何気ないこと。小さな様々なことについて、インスピレーションや小さな刺激を与えられるような、そういうことをやっていきたいです。暮らしにつながることはすべて網羅できるように。
— 『コト』にフォーカスした、ソフト重視に舵を切るということですか。
あくまでも『モノ、コト、スペース』のバランスの中で、です。暮らしを楽しむことの提案といいますが、新しい洗練された暮らしを支えるのは、住宅のハード素材の木材ですからね。その生産や流通、その特性を生かした『コト』です。
— モノとコトとスペースは一体だということですね。そして、さらに多くのことを内包させて、大きく成長させたいと。
そのためには提案は多いほうがいいし、内容もばらけたほうがいい。ここで若い人たちに頑張ってほしいんですよ。ダビデみたいに全力で石を投げてほしいと思うわけです。
— なるほど。でも、投げるものは何でもいいわけじゃないんでしたね。そのためには若い人たちにどういう石、つまり武器を持ってほしいとお考えですか?
これは、社員だけじゃなく、広く若い人にむけての話として聞いてください。大事なのは、感性、もっと言えばエモーショナルなもの、気持ち、ハート。
— う~ん、若い人も持っていると思いますよ、ただ、感情を露わにしてはいけないとどこかで思っているかもしれません。メールとかラインとか便利なコミュニケーションツールを使っているうちに、人との距離は遠いほうがいいのではないか、直接話しかけるのは失礼ではないかとためらうようになった。距離を置くというのは敬語の発想ですから、あながち間違いとは言えませんが、その使い分けがうまくないですね。便利さを追求するツールに敬語的な役割を持たせるのはお門違い。
その通り。メールで質問が来たから答えたのに、いっこうに返しがこない。一晩明けて『了解しました』ときたから、どうして前夜のうちに返さないのかと確かめたら、『遅い時間だったので遠慮しました』と。何かずれていませんか。
— あと、同じフロアにいる人にメールで用件を伝えるということもよくあります。
そうやって便利なもので手短かにすませているから、感情表現が下手になったようにも思います。学生さんと話す機会があって思うのは、表現が型通りというか、バリエーションが少ないし、淡々としているし。人と分かりあうにはまずはしゃべらないと。それもいっぱい、幅広く余計かなと思うようなことも。長く話していると、時に思いが一致する瞬間があり、それが貴重なだけにうれしいし、気持ちも高揚し、もっと話したくなる。そして、互いに分かり合える、認めあう。これがコミュニケーションですよ。プライベートでも仕事でも同じです。承認欲求をかなえられるのはコミュニケーションあってこそ。
— マズローの欲求5段階論ですね。人は、金銭などの物質的な評価以上に、他者からの評価を求める承認欲求を持つという。そうなんですけど、今の若い人たちは、会社の中での承認欲求が低く、友人や身近な人に認めてもらえればいいと考える傾向があります。SNSで『いいね』を多くもらえたら、それで幸せと。
いやいや、私は会社で認めてもらおうと言いたい。どんな仕事も一人ではできません。周囲に認められ、この人と仕事がしたいと言ってもらうことが大事です。
— マズローによれば、承認欲求の次の段階は自己実現欲求です。認められ、それが自信と意欲につながり、自分から動き出します。若い人だけじゃなく、私も認められ、ほめられたりすれば、持てる以上の力を絞り出したりすることも。
そりゃあいい。どんどん認めますから、迷うことなく全身全霊を注いでいただきたい!
— とんだ藪蛇でした。今回はこのへんで。