— 昨年末から今年の初めまで、茅野社長押しの「亀とサソリの話」について書きたいと思います。
「あれですか。分かりにくいかもなぁ。」
— いえいえ。もう一度、お話しをお願いしてもいいでしょうか?
「え~とですね、目の前に川があります。でも、そこを渡るには泳いでは行けない。そこで、ある優しい亀が自分の甲羅に動物たちを乗せて上げて、川を渡るお世話をしていました。ある日、その亀のもとにサソリがやって来て、「ボクも乗せて欲しい」と願い出ます。でも、亀は「刺されたら死んじゃうから嫌だ」とその願いを断ります。でも、サソリは「そんなことをしたら、自分も川に沈んで死んでしまうんだから、刺すなんてことをするはずがない」と言います。亀は「それもそうだ」と納得をしてサソリを乗せて川を渡り始めます。しかし、川の半ばまで辿り着いたときサソリはいきなり亀の首筋に毒針を刺します。そして、亀もサソリも川に沈んで死んでしまいました。と、こういうお話です。」
— どうしてサソリは亀を刺してしまったんだろう?という疑問が残りますね。
「そこをどう捉えるか。『そもさんせっぱ』のようなお話です。」
— 社長が最初にその話をしたのが、カヤノで行っている木曜日の全体朝礼のとき。社員の反応はいかがでしたか?
「ぽかん、としている社員が多かったですね。朝から何を言っているんだろう・・・、みたいな感じですかね。でも、この話を耳にしたとき、私は『これは深いっ!』なんて思ったものです。朝礼での私の話し方が悪かったのかな・・・。」
— 僕もこの話を聞いたときは「ん?何でだ?」と思いました。社長が口にすることだから、仕事とか、生き方に関することだろうとは想像がついたのですが、解答のようなものに辿り着くのに熟考しました。
「こういう話はそれを聞くシチュエーションとか、誰から聞くかとかも大切ですからね。」
— 最初、僕は『サソリは自殺をしたかった』。だから、亀を言いくるめて川へと渡った。その真意は言葉だけで全てが表現されるわけではないよ、ということかなと考えました。言葉の奥にはもっと深い事実が待っているんだよ、という教訓かなって。我々はお客様の言葉を形にする仕事をしていますから・・・。お客様は全てを伝えてくれるわけではないんだよ。僕たちが感じ取らなければいけない部分もあるんだよ、と・・・。
「う~ん、惜しい。でも、そういう側面も無きにしもあらずでしょうか。」
— そして、カヤノ全社員が出席する忘年会のときに、社長が種明かしをしてくれました。あのとき初めて、「あ~、なるほど」と思った社員も多かったのではないでしょうか。実際、細かいディテールの部分は、僕もあのとき初めて納得しましたから・・・。これは、性のお話なんですね。
「そうです。サソリを主役に考えるなら、亀を刺してしまったら川に沈んでしまうことは分かっていたはずなんです。でも、サソリは毒針を刺すという性を持っています。生きる、死ぬという前に、その性を抑えることが出来なかった。」
— 目の前に毒針を刺す対象がいるのに、その性を抑えられるようではもはやサソリではない。
「そうです。その性は自分の命を落としてしまうほど、強烈な性なのです。誰に何と言われようとサソリは毒針を刺すものなのです。亀を刺してしまったら川に沈んでしまう・・・。でも、性を抑えることは出来ない。と言うよりも、毒針を刺すことでサソリたり得るのですね。」
— う~ん、そこまで理解することは出来ませんでした・・・。解説を聞いたときに、実世界に生きている僕たちの仕事や生活、生き方に置き換えることが出来ました。朝礼で発表するだけのことはあるな、と(笑)。
「動物が登場するお話ですから、柔らかい結論かと思いきや、このお話はかなり峻烈なものなんですね。」
— では、それを実世界の人間、仕事をする人間に置き換えると?
「ここまで、お話しすれば分かるのではないですか(笑)。」
— いえいえ、ここからが重要。
「そうですか。これは仕事をする上での姿勢と心構え、プライドの話なんですね。」
— サソリのような性、つまり、個性を持つべきだと?
「持つべきと言うよりも、私はそういった姿勢でいて欲しい、自分にしか成し得ない武器を持って欲しいと思ったので、朝礼で話したのです。私自身も含めてですが、これだけ時代の変化が激しい中で、どのように生き残るか?また、東日本大震災という未曽有の大災害を経験して、原発の問題、愛国心についてなど、我々日本人はこれからの生き方を、今、問われているのだと思うのです。」
— 2011年3月11日以降の諸問題を言う人が多数派ですが、徐々にそれ以前にあった問題に焦点を当てるジャーナリストの意見も目立つようになってきましたね。
「当然、そういった意見も出てくるでしょう。東日本大震災で我々日本人は多くの犠牲になった方々と共に、日本という国は大きな問題を孕んでいたんだということを知りました。」
— 原発の問題だけを取ってみても、これだけ意見が二分する大きな課題を日本が抱えたのは太平洋戦争、戦後復興時代以来ではないでしょうか。当然、僕は戦争を知らない世代ですが、あ、社長もそうですね(笑)。
「そうですよ。」
— 何と言えば的を得るのか分かりませんが、東日本大震災があって僕たちは原発の危うさのようなものを知りました。そして、その影響で未だ仮設住宅で暮らしている方がいる。以前、住んでいた場所には戻れないという方もいる。心情的にはどうしようもなく「原発反対」という風になってしまいます。でも、その心情というか、意見には代替案がないんです。
「シェールガスやメタンハイドレードなどが検討されていますね。」
— はい。でも、本当にそれで日本の電力を賄えるのか?社会に影響はないのか?という答えを持っていません。原発が自然災害の前では脆いということは分かった。思い切って言いますと、それだけで全ての原発を否定してもいいのだろうか?という疑問です。
「裏づけがない?」
— そうです!賛成か反対かと問われれば、「反対」と答えるのでしょうが、そんなに自信を持って答えて大丈夫かな?みたいな澱が心の中に残るんです。
「なるほど。目の前に震災、そして、原発事故の被害に会われた方がいる。そういう現状の中で、心情的にならずに考えるというのは、とても難しいことですね。」
— 話が脱線してしまいましたが、サソリになるにはどうしたらいいでしょう?
「そういったことを考えること、自分なりの意見を持つこともそのひとつだと思います。現実の仕事で言えば、その人なりの特性、専門性、時代や風潮に流されない我のようなものを持つことでしょう。でも、それはお客様のためになることでなければいけません。サソリが亀を刺したと聞けば、ちょっとアウトローと言いますか、悪いことをしたと捉えがちになりますが、いい意味で解釈をするならばサソリたり得るためには刺さなければ仕方ないということなのです。」
— そこがこのお話の深い部分ですよね。サソリ=ワルものというイメージがありますから、どうしても亀に同情してしまいます。
「その一見矛盾しているような部分こそ、実は的を得ているというのがこのお話のツボではないでしょうか。随分詳しく解説してしまいました。」
— 可哀そうな亀だな、という意見はダメですか?(笑)
「いえいえ、それはそれでいいでしょう。他の動物が亀に忠告をして上げれば良かったのでしょうが、それでは例え話にならないですから・・・。」
— そうですね。教訓になりませんね。どうも、ありがとうございました。