— この間、『価値限界』という言葉を聞いて、「あ、ここまできたか」なんて思ったんですけど、その辺りどうお考えですか?
「確か、書籍にもなっていますよね。う~ん、残念な意味で使われているので、企業家としてはあまり歓迎すべきワードではないです。」
— それだけ世の中が成熟した、ということでしょうか?
「そういうことでしょう。現実的に飽和状態にあるのは事実だと思いますよ。しかし、今だからこそ、これからだからこそ出来ることもあると思います。」
— 僕もそう思います。例えば、社長が学生だった頃と、今とでは何か違いはありますか?
「今の若い人・・・、あっ、そういう括り方はいけませんね。私たちの時代もそう言われていましたから・・・。慢性的な閉塞感はあるのではないですか。不景気、政治低迷、教育崩壊なんて言葉を常に耳にしていたら滅入ると思いますよ。」
— 確かに・・・。
「私は東京の大学へ行ったのですが、その頃、新宿でロールキャベツ定食を食べさせてくれる店があって、大きなロールキャベツとご飯がついて150円でした。その後、ジャズ喫茶へ行って、150円の珈琲を頼んで聴いているわけです。」
— それ雑誌で見たことあります。あれ、本当に動いたり、話したりしちゃ駄目だったんですか? なんか席に座ってじっと聴いている人のモノクロ写真が頭を過りました。なんだか、アングラだなって・・・。
「いやいや、それが愉しかった。(笑)本当に黙って聴いたものです。でも、ジャズといっても、その中にもジャンルというか、カテゴリーがあって、自分の感性にない曲が流れたりすると、また新しいジャズに気づくことがあります。」
— なるほど。
「本でもそうでしょう? 自分が好きなジャンルの書籍から外れた物を読んだときに、新たな価値観が生まれる。」
— そうですね。僕は子供の頃、それに当たりました。三毛猫ホームズシリーズをずっと読んでいた後に、ドフトエフスキーを読んだら、頭が痛くなりました。「なんだこれ?」って。アレルギー反応です。
「その経験が大事だと思いますよ。そうやって、痛みを経験することで、価値基準が形成されていく。」
— それに気づくことが大事だと・・・。
「ええ。そうすると、今のAKBとかアニメとか、ボーリング、魚釣りでも何でもいいのですが、所謂サブカルチャーと言われているものでも、メジャーになれるわけです。時代の流れが早いですから、それも一気に浮上する可能性がある。それだけ、日本にはまだ余白が空いているということなのだと思いますけどね。」
— 余白、という言葉はいいですね。響きがいいです。確かに、今、BSなんか観てると様々なジャンルで細分化されていて、ピンスポットに自分の嗜好に合った番組を探すことが出来ますもんね。それだけ、入口が多い。
「私らが学生だった頃は、選択肢が今ほどなかった。だからこそ、飢えていたとも言えますが・・・。」
— 学生運動の後ですよね?
「はい。もう、学生運動は終わっていました。」
— イメージでしか分かりませんが、『苦学生』という言葉が似合う時代だったと思います。
「まさしく、それですね。ありませんでしたから、お金。さっきも言いましたが、いかに300円を有意義に使うか? という答えを探す。それで、ロールキャベツ定食とジャズ喫茶に本気になったのです。(笑)」
— だからこそ、やりたいこととか、欲しい物を本気で手に入れようとした時代だったんじゃないかと思うんです。今は自分に合わない、嫌いっていう選択が簡単に出来る。当時はネットはもちろん、携帯電話もなかったでしょうし・・・。
「ないですね。今のような技術革新は考えてもいなかった。先日、アメリカで開催された家電商品の展示会で4Kテレビというのが発表されました。あれ、凄いですね。普通に眺めただけで3Dに見える。」
— でも、「あれ買おう!」とは思いません。
「そこです。冒頭に出た『価値限界』という言葉がまさにそれに当たると思います。ほとんどのお宅にテレビはありますね。本来、『技術革新』というのは、その“欲しい”という欲求を掘り起こさなければいけないのだけれど、“今あるのでいいや”となってしまう。」
— それは、開発の道が違っているということですか?
「違うとまではいかないと思います。確実に技術更新はされているわけですから。しかし、物質的に飽和状態の時代を迎えていて、なかなか「買う」という行動にまで至らない。しかし、企業はそこを考えなければいけない。もっと言えば、技術開発の前に、誰に“欲しい”と思って頂けるのか? どうやってファンになって頂くのか? という疑問を解いておかなければいけないということなのです。」
— なるほど。豊かさの裏側という感じですね。
「以前、ある大学で特別講師を頼まれたとき学生に訊ねたことがあります。『夢は何ですか?』と。」
— それは、答え辛い質問です・・・。
「何名かが答えてくれましたけど、どれも夢と呼べる範囲のものではありませんでした。」
— それって悲惨ですよね。夢を語ることが出来ないって、生きることの意味を見出せないということにつながるんじゃないかと思うんです。例えば、将来ポルシェに乗りたいとか、単純なことでもいいと思うんですけど・・・。
「私たちの時代はそれで良かったのかも知れません。でも、現代社会はお金では買えない、というところに夢というものの価値を置いておくべきではないでしょうか。物質的に夢をみてしまうと、それが手に入ったときがっかりなんてこともありますからね。」
— 創造的であれ、と。
「文化的とか、芸術的、科学的でもいいですが、何かを成し遂げるという選択肢の方が価値があると言えるのではないでしょうか。先ほど話にも出たように、今は入口が多い時代です。その割に出口が少ない。かなり自由度の高い時代になったと思いますが、発想するというキャパシティーが狭くなっているのも事実です。私たちが学生の頃は、新しいことが多かったですから。」
— そうですね。色んなものが出尽くしてしまったような感じはします。でも、それが今という時代ですから、そこからまた新しい発想を生み出さなければいけない。
「そうです。まだまだ、沢山の余白は空いています。昔の冷蔵庫、洗濯機、カラーテレビといった3種の神器と言われたような、圧倒的な価値観の転換は物質主義だけで考えると難しいでしょう。」
— ソフトにはまだ余白は空いている?
「こんな時代だからこそ、ソフト発想が求められるのではないでしょうか。でも、新しいソフトは新しいハードを生み出しますから、振り幅は広いですよ。」
— なるほど。では、今回はこれくらいにして、また次回お願いします。